2025年10月2日木曜日

三井寺末寺


 難波寺は開創当時は華厳宗であった。

しかし南都六宗は全国には広まらず奈良中心の宗派であった。

大阪にあった難波寺はいつの頃からは不明だが、三井寺の末寺になっていた。

天台宗には、2つの派があり、山門派は比叡山延暦寺、寺門派は三井寺が本山となる。

三井寺は天台門宗として発展した。1300年前と伝わっている。

難波寺は1250年前西暦752年創建だから、ほとんど天台門宗として存在してたようだ。

寺にある大黒さんは、八面六臂の天台宗寺院によくある形をしていて、昔から信仰を集めてたようだ。御札に押印する大黒像や由緒の判子が現存している。

少し大きめな像なので珍しいらしい。御厨子に入っておられる。

寺の脇仏の不動像、毘沙門像は、天台宗の祀り方らしい。

妙心寺塔頭・後花園院の卓堂和尚が再建したのは江戸時代。臨済宗妙心寺派になった。当時、随分、荒廃してたらしい。

歌舞伎の茜染野中隠井(あかねそめのなかのかくれい)が生まれたのは妙心寺派になってからのようだ。演目の野中は、野中の観音さんと当時呼ばれていた由縁。

歌舞伎で件の演目が上演されるときは、役者さんがお参りに来られる。

私が知ってるのは、先代の中村仁左衛門さんが、お供の方たちとお見えになり、丁稚長吉が投げ込まれたという井戸枠などを見ておられた。新聞記事になり、切り抜きが残っている。


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白隠の軸

 先日お伝えした難波寺所蔵の白隠禅師の軸は展示できなくなりま まあ、そのかわりに、八面六臂の大黒天が展示されることとなりました。 八面六臂とは、8つの顔と6つの腕を持ち、あらゆる方面に活躍するということ。 前回決まった、地蔵菩薩立像と大黒天像の二体が展示されます。 以前も、こんな...