高校のクラス会の時、寄せ書きを集め記念写真と一緒にプリントするというので、
カードにマジックで記入。
数日前、幹事からメッセージ。縦書きは、三木だけだから横書きで書いてと。
うちにあったメモに筆ペンで一筆啓上。
随分前から、棚経に行った檀家さんに頼まれ、一筆書いていたが。
もう爺になったからいいか。
カードにマジックで記入。
数日前、幹事からメッセージ。縦書きは、三木だけだから横書きで書いてと。
うちにあったメモに筆ペンで一筆啓上。
随分前から、棚経に行った檀家さんに頼まれ、一筆書いていたが。
もう爺になったからいいか。
前回は、蓋に穴を開け使ってた。
そうか、Google だ。
hetman オイル 蓋が開かない で検索。
youtube 。タオルを巻き、ペンチで開ける。
試したら、呆気なく成功。
パソコンは、困った時の再起動 という。
うちのデスクトップはマウス製。
素早く立ち上がり、素早くシャットダウン。
家電みたい。
自動車税の通知が来た。副住職はネットで納入。
私は、コンビニで精算。
帰り、信号が変わりそうなのでダッシュ❗️
ゴールデンウイークも終わる。
一昔前は、法事の時間の取り合いだった。
今は昔。
Loppi で探すが無い。隣のコピー機だった。
200円で印鑑証明書GET。
連休で各地の高速道路は大渋滞。
そういえば、年に何回か家内の里帰りで子供と車で東京へ行ってました。
渋滞にハマったことも。60KMの渋滞にハマったときは、道路公団の人が拡声器で、前が空いてますお進み下さい とアナウンスして走ってた。長距離トラックドライバーが仮眠を取っていて前が空いたのに気づかないから。
決まって行く日もあって、音大の同窓会をしてました。
10数名から20数名の会。楽しかったな。今は昔。
東京へ行くとき、浜松を過ぎたあたりから、家内が「お父さん、変わったね」と。
そうなんですね。大阪にいるときの和尚の自分が、音大行ってる時の東京の自分に変換してました。
OSが違うんでしょうね。言葉は、家内がバイリンガル(大阪・東京)では無かったため夫婦間は標準語。言葉か環境か、在京の時は全然違う自分になっていた。
ネットで見た学者が、俺と僕と私と三種類の自分を作っていると話されてた。
なるほど~。確かに、主語が違えば、違う自分になってるな。
パソコンも、マザーボードのBIOSがあり、その上にOS,その上にアプリケーション。
パソコンでさえ、重層的になってるわけで、人間はもっと複雑・緻密にできてるはずで。
意識という厄介なものは、未だに定義づけ出来ないとか。
無心の状態から、何かに対応して生まれるのが意識だと思うんだけど、アカデミックな世界では、そんな単純なものでは無いでしょうね。
4月27日12:00から天満・双龍居という中華料理屋で集合。
女性5名、男性11名。73~74歳の元高校生。
幹事3人の尽力で長い事続いてます。ほんと頭が下がります。
乾杯は最年長、昭和25年4月生まれのN君。挨拶が長いので、はよ乾杯せえや!の声。
爆笑の中、乾杯。今年は、ご覧のような大きな一つのテーブルに座れたのでゆっくりいただけた。
中盤から、16名が近況を一人ずつ話す。孫の話と病気の話が多いのは仕方ないか。
それぞれ参加できるくらいには元気にしている。有り難いことだ。
名刺大の白紙のカードに2行のメッセージをそれぞれ書く。
後日、幹事が記念写真の周りに編集で入れてくれる。
最後の、記念写真は、お店の方にシャッター押して貰う。
私のスマホを使ったので、暗かった画像をGoogleの修正機能を使い、見やすくし、LINEグループにアップ。
2次会は、直ぐ側のカラオケ。8名参加。受付のIT化に戸惑う。
2時間騒いで5時ころ店を出て、皆で天満商店街を地下鉄・JRまで賑やかに歩く。
集合が、12:00になったのは、夜、集合にすると参加しにくい方が増えたから。
2次会が終わっても、明るいうちに解散できるからね。
印象的だった話。
Yは楽器店に大学卒業から勤務。今は、社長を退き会長をしてる。
40数年前から、高校生の軽音楽部のコンテストをプロヂュースしている。
現在は、北海道から沖縄までと、台湾の高校も参加してるそうな。
決勝は、大阪・グランキューブ大阪であるそうな!
Hは、ゴルフ練習場でバイト。3階席まで、登ったり降りたり。今は、平気で走ってるそうな。現役時代は、電通と仕事してたって。
Nは、某電鉄関係に勤め大病のため社長になりそこね、現在は、スケッチと犬の散歩が仕事。
この辺にしましょう。また、会えると良いな。
3年間かかる工事。後1年。
寺から西名阪自動車道・阪和道に出るとき、平野入口から松原線に入っていたが通行止め。
いろんなルートを探しあちこち走ってみた。
流町を左折、通称葬式道路を右折、瓜破霊園北を左折、通行感情に出て長原入口から近畿道に入る。
寿町を右折、中央環状線に出て長原へ。
結局、瓜破まで出て三宅ランプ北っを右折、天美東四でUターン、三宅西から阪神高速が早い。
帰りは、三宅西まで出て、行基大橋で長居公園東を北上、今里筋か勝山通りで帰山。
近頃は、このルートで走行している。
やっと橋桁が出来たようだ。早く出来ないと、運転出来なくなってるかも?
ネガティブな事考えてる。
ローカルな話。
裏庭にクンシランが咲きました。
花の名前は知らなかったが、Googleに教えてもらいました。
レターパックに同封する書面を一枚入れ忘れ、開封し入れ直しました。
金封の表書きを内袋に書いてしまいました。
熨斗紙のプリントを20枚し、紅白熨斗の白の部分が印字されてませんでした。
筆まめのテンプレのミスだな。
チョイミスが増えましたね。
気がつくと、即動き出す習性があるので。
後でとか、今度やろうとか、できないので、ミスが多いですね。
考える前に動きます。動いてから考えます。
今週金曜日は、K寺さんの七回忌。
世間は、土曜日からゴールデンウィークらしい。
コロナ以降初めてだ。
小曽根真トリオ+松井秀太郎tp。
小曽根さん曰く、「夕方、5時半のライブの雰囲気ちゃいますな」
演奏が始まると、新しい時代のピアノトリオだった。
トリオの3人がそれぞれ音楽を作っている🎵
凄い。
途中から、トランペットの松井が入ってより濃い演奏になった。
国立音大の教授をしてる小曽根さん。ドラムも松井も国立音大の教え子なんだって。
凄いのが、松井は音大入学迄、クラシックしかやってなく、4年で小曽根と共演するジャズプレイヤーになったそうだ。びっくり‼️
夕食は2,800円のワンプレート。ノンアルのビール。
大阪駅前の第一ビル地下駐車場を使い、リーズナブルに。
帰り道の谷町筋は、信号🚥殆ど青🟦。
スイスイ帰れた。
良い夜を過ごせたな。
退蔵院のさくら🌸は見事だった。
4月11日京都妙心寺に、本山団体参拝に行った。
難波寺からレンタカーのバスを副住職が運転し、寺、桃谷駅で檀家さんを乗せ本山に。
11時から法堂で、数十人の山内寺院と本所部長和尚方が管長山川宗玄老師の導師の元法要が執り行われた。400人位の檀信徒の皆様が参列。法要後、微妙殿にて阿じろのミシュラン一つ星の精進料理の昼食。食後、山内退蔵院に徒歩で移動。難波寺からの参加者10名で拝観。素晴らしい庭園だった。見ものは枝垂れ桜。境内は外国人だらけ。インバウンドを感じた。受付で、退蔵院の奥様にご挨拶できた。お忙しいのに、御丁寧にご挨拶頂き恐縮だった。
スピリットブラスの方々には素敵な演奏して頂き、有難うございました。
yoasobi のラップをドラムの方が歌ったのはビックリ。
あっという間に時は過ぎ、終わってしまいました。
お客様も110名ほどお越し頂きました。有り難いことです。
片付けを、檀家さん3名にお手伝い頂きました。
切りの良い所で、お帰りいただき、後は副住職と建具などを元の位置に戻しました。
PAの片付けは、セッティングした住職が・・・。
写真の右端の、佐藤けやきさんは、昨日が結婚披露宴だったそうです!
お相手は、数年前に花祭りコンサートに来てらしたフルートの方だそうです。
いや~めでたい!
お約束のソロは、「誰かが誰かを愛してる」を演奏。
アンサンブルの方とは、「トランペット吹きの休日」を。
73歳ですから、出来は酷いものでした。(歳のせいにするな!)
友人が、動画にとってアップしてくれましたが、穴があったら入りたい状態です。
コンサート後、玄関でお見送り。
沢山の方から、喜びのコメント頂き嬉しかった。
知ってる方は、普段の和尚が、コンサートのMCしたり、演奏したりするギャップに衝撃を受けてらっしゃるようでした。
招待状のアドレス更新も明日にします。
携わって下さいました全ての方に感謝。
お疲れ様でした。良い一日でした。
告知を忘れて、今頃UPしてます。
今年は、ソロはなく、トランペット吹きの休日をアンサンブルに参加して演奏します。
最初の挨拶で、気が向けば、シューベルトのセレナーデを吹こうかなと思っています。
皆様のご参加をお待ち致しております。
帰り道のローソンでサンドイッチとコーヒーで昼食。何とか1時半に帰山。
しばし休憩して、シンフォニーホールへ。
開演には間に合わずロビーでモニター鑑賞。1部と2部の幕間の休憩で着席できた。
招待チケットを差し上げた19人の知人友人に挨拶。
予ベル。2部開演。
アインザッツの音で圧倒!
6,70人のオーケストラ。100人以上のコーラス。グランドピアノも2台。
迫力だった。歌の字幕が出てたのも良かった。
1時間以上の演奏。感動のフィナーレ!
会場が拍手とスタンディングオベーション。
鳴り止まない。10分以上の拍手。
客席に灯りがつき殆どのお客さんたちが出ていくのにまだ拍手してた方も。
終演後、笑顔で挨拶して頂いた、友人、檀家、知人。喜びの共有。
分かる人には、分かる。
全員では無いが。
午後1時から法要。受付は11:30。お昼御飯給仕。
出席の方は、コロナ前の100人位から、大幅に減っている。
境内や門前の草むしりも終わる。
法要後の法話。さあ、何を話そうか。皆さんのお顔を拝見してたら自然に話し始める。
話が途切れたら暫く無言。また、話し始める。切りの良い所で、結びの挨拶。終了。
役は人を作る。住職になって数十年。レジュメを作ったり、箇条書きを書いたりしたこともあった。余計な計らいごと。その時、その場で、話し始める。後はなんとかなる。
さあ、今日も何とかなるかな?
水戸泉関が親方になられ最初の大阪場所の宿舎に難波寺の集会所をお使い頂いた。
新弟子さんは5~6人。弟の梅の里さんもご一緒。
夜遅く、部屋の壁を突き破ったとお弟子さんが来られ、隣家に断りを言い、翌日、大工さんに直して頂いた。やんちゃ盛りの若者たち。
ちゃんこを寺に持ってきて下さいました。普通のちゃんこ、カレーちゃんこ。
大鍋に頂いたので、近所におすそ分け。
集会所の迎えの難波寺駐車場に土俵を作りプレハブを建てられてました。
数年で、講演会の紹介で東成区の神社に引っ越されました。
それから毎年大阪場所の時に挨拶にお見えになります。
義理堅いね。人柄の良い親方です。
楽しくおしゃべりし、お帰りになりました。
十両水戸龍が早く幕内になりますように祈念致します。
河合隼雄さんの本は電話相談室に携わってから随分読んだ。ユング派の心理学者だが、アドラーのことも出てくるし、禅宗(臨済宗)の話もよく書かれている。臨済宗に憧憬が深いのは哲学者の池田晶子もそうだった。
この本の中の一節「灯りを消すほうが よく見えることがある」の一文。
「何人かの人が漁船で海釣りに出かけ、夢中になっているうちに、みるみる夕闇が迫り暗くなってしまった。あわてて帰りかけたが潮の流れが変わったのか混乱してしまって、方角が分からなくなり、そのうち暗闇になってしまい、都合の悪いことに月も出ない。必死になって灯(たいまつ)をかかげて方向を知ろうとするが見当がつかない。
そのうち、一同のなかの知恵のある人が、灯を消せと言う、不思議に思いつつ気迫に押され消してしまうと、あたりは真の闇である。しかし、目がだんだんと慣れてくると、まったくの闇と思っていたのに、遠くの方に浜の町の明かりのために、そちらの方が、ぼうーと明るく見えてきた。そこで帰るべき方向がわかり無事に帰ってきた、というのである。」
電話相談や坐禅会に来られる方の話をお聴きすることがある。
お悩みを聞いて、すぐに「それはこうで、こうしたら楽になりますよ」と言いがちだ。
でも、それは船の上でたいまつをかかげるようなもの。
「うんうん」、真剣にお聴きするだけ。親身になってお聴きすると相手もお話を続けられます。
「そうですか。」
心の中に蟠っていてどうにもならないことを言葉にして表現していただく。
一時間でも二時間でも。
話すことが無くなり、もう一度最初から繰り返す方も。
言葉にして話してもそんなに簡単に解決しませんよね。
たいまつのような心の期待を無くし、じっとする。ふっと道が見える。
本当は解ってらっしゃいます。
ここに気づいた方が坐禅会に来られます。電話相談にお電話頂けます。
言葉にできる悩みはまだまし、言葉にならない苦しみはこたえます。
生きてる限り、そんな苦しみを抱いて過ごすしか無いんですよね。
懐かしい味だった。上のシューを手に取りクリームをつけて食べる。
50年前は、TVコマーシャルの不二家のいちごショートケーキが美味そうで食べたいなと思っていた。その頃の我が家のおやつは、はったい粉だった。
閑話休題
中学校の時、男子生徒の間にヒエラルキーがあり、喧嘩の強いやつが頂点に居た。所謂番長。
私は真ん中くらいに位置して中途半端な存在でした。ある時、同学年の男子から挑戦的なことを言われ、喧嘩になった。「おのれ、偉そうにしてるな。どっちが強いか分からせたろか」。私と相手が殴り合うのを皆が輪になって見守っていた。拳で相手の顔を殴り殴られ、終いには教室の床に組み伏せ、上から下からボコボコに殴り合っていた。誰からともなく、「もうやめとけや」の声がかかり、数人で引き離された。二人共、息が上がり、、ハーハーいってた。
顔がボコボコに腫れて、眼鏡もどっかに行ってた。左目の上が酷く暫く痛かった。
卒業式には、お約束のパトカーが警備に来てた。同級生は式後、組員に車で連れて行かれた。酷い中学だった。良かったのは、中学2年の時、吹奏楽部を創った園部先生(音楽担当)が、バスケットボール部(河合先生顧問)に居た私を引き抜いてくれたこと。これがきっかけで変化が起こった。もう一つは高校。親父の行ってた高校に入学。ラッパズボンを履いて登校すると真面目な生徒ばかり。暴力のヒエラルキーも無し。文の里中学から来てたやつは、和歌を読んでた。あら~!世界が違う。驚きと喜びの高校生活の始まりだった。
写真はその時の1シーン。前を歩くは、妙心寺山内塔頭大法院住職肥田自豊さん。
後ろは、賀来千香子さん。
大法院は、連続テレビ番組の放送など、度々TVに出てらっしゃいます。
50数年前、東福寺僧堂に入門した時の大先輩です。
一から十まで指導していただきました。
自豊の「ほう」から、僧堂では「ほっさん」とお呼びしてました。(私は、がくっさん)
雲水時代、京都のあちこちの僧堂の方にお会いすると決まって尋ねられました。
「ほっさんは、元気か?」有名人でした。
道場で10年以上修行されてる雲水は少なかったんですね。
道場でてからも大法院で秋に開催される「紅葉の会」のお手伝いに呼ばれました。
紅葉を愛でながら阿じろの精進料理をいただく大法院さんと親しい方々が参加されてました。
その時の管長さんもお出ででした。俳優さんや親方や歌手や・・・。
私の担当は、食事の前のミニコンサート手配と司会進行でした。
初めは、指揮者の中田に頼み、弦楽四重奏の方々を紹介してもらいました。
それから、数十年続きました。終わりの頃に、私のトランペットをCD伴奏で聞いて頂きました。丁度、NHKの歌のお兄さんお姉さんがお見えでした。
僧堂の会下会(えかかい。道場の同窓会のようなもの)の事務局を頼まれたのも、大法院さんでした。堺の徳泉庵さんと二人が大阪に来られ、議事録を丁稚げ(?!)名簿・規約を作り会の成立です。これも数十年。
思えば、本山の役を頂いたのも大法院さんと天球院さんでした。
13年間、花園会運営委員・法務部運営委員をしてました。
最初の年、山内の退蔵院さんが、歓迎の会を催して頂きました。古田宗忠さん。
「ようきたな」とお言葉を賜りました。
退蔵院さんとは次の住職の松山英照さんとも親しくお付き合い頂きました。退蔵会(大法会もあったな)に呼んで頂き、旅行したのも楽しい思い出です。
この辺にしておきます。切りがないので・・・。
シェイクスピアの「マクベス」をベースにストーリーが展開。
読み応えあったな。
私は「マクベス」よく知らなかったので、ググってあらすじを読んで内容が理解できました。
理数系の方にお勧め。
次は「トヨトミの野望」を読みます。
川上未映子さんの「黄色い家」買ってみるかな。
毘沙門さんかな?
「この仏像はどうされたんですか?」
敦賀の親戚の叔父さんが創ったものだそう。
うまくできてますねと、褒めてたら、他にもありますから貰っていただけますかと。
書院にならお祀りできますよというと、2日後、車で二体持ってきて頂きました。
左の大日如来も立派だけど右の千手観音は手などの細工が凄い。
随分、日にちも掛かっただろうと思われます。
「まだ、他にもありますから」と檀家さん!?
叔父さんの住所が書いてありましたので、早速、礼状を書きました。
うちの寺では、珍しいことでは無く、以前、二体の仏像を寄進して頂いております。
皆、飾り仏としてお祀りしてます。
床の間に安置しましたので、彼岸にお見えになった方に見て頂けます。
写真は拡大できますので、細部を御覧下さい。
同日、「せとか」が届きました。
毎年、花祭コンサートに出演いただいてるアンサンブルのリーダーからでした。
でかいのが10個入ってました。お高いのに、申し訳ないなと家内と話してました。
閑話休題
副住職の免許の卒業検定は無事合格!
なんでも、卒検の時、教官からミラーが植え込みの葉っぱに当たったねと言われ、落ち込んでいたそうです。でも、合格!良かったね!
これで、4月の本山団体参拝に檀家さんをバスでお連れできます。バス会社に頼むと10数万円。トヨタレンタルで借りると、12時間3~4万円。
春の数々の行事。一つ目処がつきました。
最近は、カード払いができるので助かります。
「生野区内行きの封筒が100枚以上あると割引になります」
といわれ、数えるが87軒。
意外と近所が多くないのが判明。
朝の日天掃除。門の外の掃除。
吸い殻・紙くず・手袋・イヤホン・酔っぱらいの●●・ワンカップの空コップ・・・。
掃いたり、ホースで水撒き、デッキブラシでゴシゴシ。
今朝は、施錠してない自転車が。流石にゴミ箱には入らないので隅に寄せて放置。
区の工営所が持って行ってくれるのを待つ。
次期総理大臣の候補。
上川さん、高市さんが有力とされてるというsiteを見た。
高市さんが良いな。
今日は、副住職の中型免許の卒検の日。
朝から出かけました。
4月の本山団体参拝に向け、難波寺の檀家さんをバスで京都に載せていこうという。
5時限の講習を終え卒検。受かったら、その足で門真に行き免許書を交付してもらうつもり。
うかると良いな!
建国記念日は明治時代に制定された比較的新しい祝日ですね。
制定当時は「紀元節」と言われてたそうな。
ネット動画。近頃、1.5倍速で見てます。
映画・ドラマはチャント通常速で見てますよ。
なんか1.5倍で見てると疲れますね。1.25倍くらいが良いみたいだな。
米山隆一・呂布カルマなど、ひろゆきを論破する人々が称賛を浴びている。
いつの頃から相手を論破することが流行りだしたのか?
何十年も前からディベートが有りましたよね。
相手と相反する考えを論じ合うこと。
私の周りにも、ひろゆき的な方が居ますね。
その方が気持ちよさそうに、論じていらっしゃる時に、「◯◯さん、△△会のひろゆきみたいですね」とつっこむ。たいてい勢いは鈍りますね。ヒヒヒ。
おためしあれ。(知らんけど)。
大阪では阿倍野区の泰清寺で節分星祭の大般若会を行いました。
お経の本をバラバラ開け締めする例の法要です。
降伏一切大魔最勝成就(ごうぶくいっさいだいまさいしょうじょうじゅ)と唱えます。
大声でね。
帰って、松寿司の恵方巻きを頂きます。
切ってない海苔巻きを丸かじり。今年は東北東を向いて黙って食べます。
2月に入り、やることが目白押しです。
3月の彼岸法要の案内状を作成。
4月の花祭コンサートの案内状・4月の本山団体参拝の案内状・3月末の子供坐禅会の案内状を同封します。A4の印字した紙を三つ折りにし、返信はがきと一緒に封筒に詰めます。封筒には宛先を筆まめで印字。裏面に寺の住所印字。返信はがきも全て印字。2月15日に郵便局から発送します。
寺の帳簿の打ち込み。擔雪という妙心寺派用の会計ソフトを使用。
預金通帳も同時に打ち込み。
今年から、町会の会計の決算を作り、監査の方に見てもらいます。
ね、結構やること有るでしょ?
何してたんだろう?
ケーブルテレビのシステムアップデート。
PCも携帯もタブレットもみんなアップデートしてます。
通知が来ても、アップデートしないケシカラン人がいます。
「なんか、遅いんですよね」って。
「当たり前だろう」!
ネットで、東大の先生が「意識は外から来る」と。
そうかな~。
外にあるものが、意識を立ち上げてるんじゃないかな?
他にも、集合的無意識が全てを知っているから、答えは自分の中から出てくるとか。
そうは、後付でしょう。
ネットは玉石混交。
情報は選択しないと駄目ですね。
チャットGPTも、プロンプトの立て方が肝心。
うまく聞けば、何でも答えてくれる。
あれ!と思う解答も。
茂木健一郎、落合陽一、NewsPicks、Pivot、高橋洋一なんかを見てます。
裏を見ても、解体するネジも無いし・・・。
そうか、youtube !
ありました。
背面から見えてるボールを押し出すだけ!
な~んや。そんなんでいいんだ。
早速、実行。
ウエットティッシュで、ボールと本体のゴミを清掃。
動く動く。か~るく。
エアーダスター買うかな?
皆で、お勤め。
霊具膳を供じ、三拝します。
思い起こせば、平成19年1月9日、デイサービスに行ってた施設から連絡。
誤嚥性肺炎で大阪市立大病院に緊急入院したと。
病院に行くと、父はもう仮死状態。
そばのベンチで、若い娘が泣いている。
そうか、この子が介護していて、誤嚥したのを放置してしまったんだなと気づく。
皆で夜遅くまで病院に詰めていた。
母と妻と三人、車で帰ろうと地下駐車場に行くと電気が消えていて何処に停めたか分からない。リモコンで解錠しながら、地下3階から順に探す。見つかり帰宅。
翌日、朝早く病院から電話。危篤。
急いで病院へ。
遷化。
数日後、介護施設から職員が来、事情を聞く。
姉は怒って追求してたけど、私はアホらしいから不問にした。
今更、金もらっても親父が喜ぶとは思えない
親父は、認知症でたまには、はっきりしていた。
二人っきりの時に、普段通りの会話をしたりしていた。
と思えば、私が摘便をしたことも。
毎朝、妻が股間をタオルで拭いていた。
硬膜下出血の手術をしなければと思ったりもする。
術後、認知症になってしまったから。
脳外科で入院中、見舞いに行くと、看護婦詰め所で、ベラベラ喋っていた。
てなことを、思い出しました。
高校のクラス会の時、寄せ書きを集め記念写真と一緒にプリントするというので、 カードにマジックで記入。 数日前、幹事からメッセージ。縦書きは、三木だけだから横書きで書いてと。 うちにあったメモに筆ペンで一筆啓上。 随分前から、棚経に行った檀家さんに頼まれ、一筆書いていたが。 もう...