武蔵小金井 北貫井町 松本宅で同窓会。
三人他界。
寝る前に、ハラリの「ネクサス」の後編を読んでる。
長い間読んでるので、小説を読みたくなり、高村薫の「我らが少女A」を読み始める。
前節に懐かしい地名が出てきて懐かしい思い出が蘇った。武蔵境、東小金井、調布インター・・・。
一浪して19歳で上京。母がついてきてくれ、アパートの契約をして大阪に帰った。
国立を希望したが良心的な不動屋さんは、国分寺のノーブル荘を仲介。
国分寺の南口を出て、東経大方面に歩き直ぐのアパート。四畳半一間。これ以上小さくは作れない、流しとガス台。トイレ共用。風呂は中央線の線路下を潜ったとこにあったような。
親にもらった数万円で暮らし始める。布団がないので、北口の長崎堂で購入。
ついでにテレビも買っちゃう!必要な食器を買い、残金が少なくなる。初めての東京での夜はとてつも無く心細く、早く朝になって大学へ行きたかった。
なにわともあれ、音大に通学。国分寺国立間の定期を購入。
一駅だからあっという間に到着。南口から関東バスで大学へ。富士見通りって言ってたな。
大学は何度も来てるので、事務所に練習用5号館の使用届出す。受験の時の顔馴染み達と会話。関西弁の内田や舟坂がいて気が楽だった。各部屋にアップライトやグランドのピアノがあった。
この使用届を出すときの会話ができない‼️
生まれた時から大阪弁。事務の係の方に行っても通じるわけもなく。
でも、事務のおばさんたちは、百戦錬磨。
ムニョムニョ ゴゴウカン で理解してくれ、練習室は確保できた。
張り出してあるトランペットのレッスンの時間表を探す。え〜と、祖元教室はどこかな?
私を担当してくださった、祖元先生は、N響のトップを吹かれてたので、先生の空いた時間をレッスンにあててくださる。月1、2回のレッスン。トランペットの先生は、同じくN響の北村先生、讀賣交響楽団の山口先生が受け持ってくださった。他の先生は知らないが、アーバンを中心にレッスンを受けた。
私は一年生夏までに全長スケールをレッスンしていただき、夏休みまでに単調の三種類のスケールを仕上げてこいと指示を受けました。それからは、リップスラーと跳躍を指導していただきました。なんかの間違いで、リップスラーは得意でした。
優しい先輩方にお世話になりました食事をよく奢っていただきました。西村さんに大学向かいの、大陸(中華)に。美味い安い量が多い。最高でした。
毎朝、校庭でアーバンのデュエット全曲を星先輩と吹いてました。星さんは後に名古屋フィルに行かれました。
同じトランペット専攻の一年は8名くらいかな。覚えてない。
同じ斎藤門下の舟坂、天理高校出身の内田、広島出身の星野、藝大を何年も受験し、諦めて国立に来た池野、殆ど大学に来ない八木は中退してTBSのプロデューサーになった。あとは覚えてないな。
舟坂はプロのバンドに入り、地方巡業の時交通事故で逝去。
内田は鷲津さんという先輩のバンドに入り早くからプロで仕事してた。何度かトラで呼んでもらい演奏した。ドラムがYMOの高橋さんだった。赤坂のホワイトハウスや、六本木のクレージーホースに出れたのも、鷲津さんと内田のお陰。
星野は秘密練習して音が激変して太く良い音色になり、ラッパのパートリーダーに。在学中から都内のオーケストラにトラで参加してた。卒業後は、教員になり毎朝7時から生徒を指導し小学校吹奏楽でメキメキ頭角を現した。後に、都立立会小学校の校長になり定年後は教育界に誘われていた。バイクが趣味で長期間日本中をツーリング。
池野は哲学者みたいな人だった。いつも落ち着いていて物静かな人だった。
国立音大の金管は体育会系で先輩の指示は絶対。
夜中寝てると、「三木、やるぞ」と先輩の声。2時回ってた。
「はい」とズボンを履いて、麻雀。
ひどい時は、二泊三日でやりました。
お陰で沢山の先輩達と知り合いになりよくして頂きました。
キリがないので又。
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