2008年6月12日木曜日
「個性」について
私は、「個性」について、玄侑宗久師の考えに影響されていました。引用します。玄侑師曰く。
「個性というのはキリスト教社会の考え方です。神様からいただいたペルソナ、つまりパーソナリティー(個性)が初めからある。これは元々日本人の発想にはなかったものです。昔の武士は元服すると名前を変えた。作家や画家には雅号もある。役割が変われば名前も変わるというのが日本人の考え方で、自分の中に八百万に住んでいるのです。」
昨日、読んだ、茂木健一郎氏の説は違いました。
「個性の発揮と他人との協調が相容れないとするのは、脳科学の視点から見れば間違いである。ミラーニューロンの発見に象徴されるように、個性は、むしろ他人との関係性においてこそ磨かれる。他人の心という鏡に映った姿を通して、私たちは自分の本性を知るのである。
激化する国際競争の時代、日本人が個性なしでやっていけるはずがない。個性と協調性は矛盾するという科学的に間違った思いこみは捨て、脳の中の鏡で大いに個性を磨こうではないか。」
注目すべきは、「本性」を、どう捉えるかです。禅では、「本性」は「仏性」とされ、それを究明することを究極の目標として、日々修行しています。「本性」を「空」「無」とする禅の考えと、茂木さんの使われた「本性」は違う概念だと思います。
私は、両氏とも好きですが、今は、茂木さんの説に揺れています。これも、「風流」だから良いですよね。玄侑さん。まあ、玄侑さんがこれ読むはずも無いか・・・
登録:
コメントの投稿 (Atom)
大阪府仏教会大会
11月12日心斎橋日航ホテルの会場で大阪府仏教会の大会がありました。 毎年、お亡くなりになった会員の追悼法要を各宗派が行います。 今年は、臨済宗妙心寺派。 大阪の支所長さんが決めた和尚たち5人でお勤めしました。 大過なく終了。 紫衣から普段の衣に着替え、中島さち子さんの講演を拝聴...
-
若い時、何百回も唱えた「発菩提心空拳章」(ほつぼだいしんくうけんしょう)という和文のお経があります。「 殺生偸盗邪淫慾 悪口両舌綺語妄語」などは印象的でよく憶えています。 「己を捨てゝ人を立て 人の善からぬ罪過を 仮令我身に受るとも 人をば罪に落とすまじ」 ...
-
にんべんに思うで、「しのぶ」と読みます。偲ぶ。 人を思うこと。懐かしむこと。 お通夜の時に、よく、お話します。 にんべんに夢で、「はかない」。儚い。 人の夢は、儚いもの。 期待するから、がっかりする。 期待しないと、楽に生きれます。 に...
-
6月20日付で、住職を退任致しました。 副住職が、後任の住職となりました。 思い返せば、平成4年住職を拝命し30年ばかり住職をしていました。 6月は、申請書類の作成に時間がかかり忙しい毎日でした。 ようやく、本山から任命、退任の辞令が降り宗門関係は終わりました。 後は、府庁に宗...
0 件のコメント:
コメントを投稿