
表題だけではなんのことか分かるのは、同世代の国立音大関係の人だけですね。
「チャンピョン」と呼ばれた、秀でたトランペット奏者がいました。
過去形なのは、数年前、糖尿病の合併症で逝去されたからです。
私が、生野高校に入学した時、「チャンピョン」は3年生でした。
なんのきっかけかは忘れましたが、何度か私の寺に遊びに来て下さいました。
その頃から、ラッパが上手でした。飛び抜けて。JAZZのフレーズを吹いたりして、驚かされたものでした。
私のエレキギターも、弾いたりされました。
喧嘩が強く、怒らせると大変な先輩でした。
その後、「チャンピョン」は国立音大に入学。
私も、一浪して、同大学に進学。
同じトランペットでしたので、とても可愛がっていただきました。
先輩たちからも、「お前、Sの後輩か?」と何度も言われたものでした。
一緒に、徹マンして、立川の「十番」という中華料理屋に連れて行っていただいたり、下宿におじゃました時は、なんと自分で作ったカレーライスをご馳走して下さいました。
大学時代、何度も叱られ、殴られるなと思った時がありましたが、結局、無事でした。
学食のテーブルに「アーバン」を置いたままにしてて、注意され、シカトしてたら、「アーバン」捨てられました。
大学に、遊びに来た子供に、トランペットを触らせたら、大目玉を食いました。
私が、5号館で、卒演のハイドンさらってるところに「チャンピョン」がやってきて、
「おー、結構吹けるんじゃない」と言ってもらったときは、ほんとに嬉しかった。
タンキングの注意をいただき感激しました。
その頃、すでに、東京フィルハーモニー交響楽団に入団されてたと思います。
私は、筋金入りの ヘタクソでした。今も、変わりません。
だから、嬉しかったな。
亡くなる、数年前、お嬢さんを連れて、寺に遊びに来ていただきました。メルセデスのSに乗って。
その時、「チャンピョン・ブラス」という主催されてた金管アンサンブルのCDを頂きました。
「これやるから、聞いてみろ!」
先日、CDの整理をしてたら、そのCDを発見!
聞いてみると、「チャンピョン」の吹く姿が目に浮かびました。
「チャンピョン」と親しかった卒業生に連絡して、CDを聞いてもらえる方をピックアップしてもらい、10数枚コピーして郵送しました。
速攻で、電話やメールで、連絡が入りました。
皆、懐かしがってもらえました。
私の知らない「チャンピョン」の話も聞くことができました。
いくら年をとっても「チャンピョン」には、到底、かないません。
そんな、方でした。