今日日曜日は月例の坐禅会。
1時間の坐禅の後、茶礼。
お茶を飲んでると発作的に話し始める。
いつもの「自分が立ち上がる」の話。
自己は無い。
海外は自己を有るという前提で論理を組み立てている。
神の作った世界は理路整然と存在してるという考え。
そこから科学が発達している。
中世、コペルニクス的転回があり、天動説が地動説になった。
神は存在し自己は有るという基本は変わらない。
ユングの集合的無意識の考えも、それが存在するということから離れてはいない。
意識はその時その時現れる。
自己と呼ばれているものも同じ。
アートマン・ブラフマンも違うな。
スポットライトを当てるように意識が生じる。
これは慶應義塾大学の物理学者、前野隆司教授の説。
有るけど無いというのは、量子力学の考えでも有る。
有るの?
無い。
無いの?
有る。
この絶対矛盾的自己同一を超越したところに有るような無いようなところが有るような?
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