1992年発行の本。
河合隼雄さんの本は電話相談室に携わってから随分読んだ。ユング派の心理学者だが、アドラーのことも出てくるし、禅宗(臨済宗)の話もよく書かれている。臨済宗に憧憬が深いのは哲学者の池田晶子もそうだった。
この本の中の一節「灯りを消すほうが よく見えることがある」の一文。
「何人かの人が漁船で海釣りに出かけ、夢中になっているうちに、みるみる夕闇が迫り暗くなってしまった。あわてて帰りかけたが潮の流れが変わったのか混乱してしまって、方角が分からなくなり、そのうち暗闇になってしまい、都合の悪いことに月も出ない。必死になって灯(たいまつ)をかかげて方向を知ろうとするが見当がつかない。
そのうち、一同のなかの知恵のある人が、灯を消せと言う、不思議に思いつつ気迫に押され消してしまうと、あたりは真の闇である。しかし、目がだんだんと慣れてくると、まったくの闇と思っていたのに、遠くの方に浜の町の明かりのために、そちらの方が、ぼうーと明るく見えてきた。そこで帰るべき方向がわかり無事に帰ってきた、というのである。」
電話相談や坐禅会に来られる方の話をお聴きすることがある。
お悩みを聞いて、すぐに「それはこうで、こうしたら楽になりますよ」と言いがちだ。
でも、それは船の上でたいまつをかかげるようなもの。
「うんうん」、真剣にお聴きするだけ。親身になってお聴きすると相手もお話を続けられます。
「そうですか。」
心の中に蟠っていてどうにもならないことを言葉にして表現していただく。
一時間でも二時間でも。
話すことが無くなり、もう一度最初から繰り返す方も。
言葉にして話してもそんなに簡単に解決しませんよね。
たいまつのような心の期待を無くし、じっとする。ふっと道が見える。
本当は解ってらっしゃいます。
ここに気づいた方が坐禅会に来られます。電話相談にお電話頂けます。
言葉にできる悩みはまだまし、言葉にならない苦しみはこたえます。
生きてる限り、そんな苦しみを抱いて過ごすしか無いんですよね。