突然の発作だった。
40年程前、本山の花園会運営委員を拝命して数年経っていた。
その日も、事前の二泊三日の委員会に向かう車の中だった。
いつものように、阪神高速池田線から豊中南で名神高速に乗り換え京都南に向かう時、突然、血の気が失せた!何だこれ!寒気がして運転が危うくなり、路肩に停車。深呼吸をして暫く休憩。こうしてもいられないので、京都に向かう。暫くして普通に戻る。委員会も無事終え、帰阪。それまで怖いものなんて無く、いつどこでも、平然と仕事をこなしていたのに。
迷路に入る。快速電車に乗れない。各駅停車の電車にやっと乗車。
堪りかね、病院の神経科に行く。先生曰く、「不安神経症」。
これが、泥沼の始まりだった。病名を得た私は、天下御免の「不安神経症」を自分への言い訳にしていた。
緊張する場面では、必ず軽い発作が出て、心臓がバクバクしていた。早く終わってくれと。
最悪なのが、本山での二泊三日の研修会のお世話。200名の参加者の皆さんのお世話・指導をしなくてはならず、仏教聖歌の指導の時は、私一人で200名の方の前で歌唱指導。これは、堪りませんでした。誰かに言う訳もいかず。まあ、言っても助けてくれる訳もなく。心臓バクバク・血の気の失せた顔で一時間。衣の中は、冬でも汗をかいていた。13年、年4回の準備委員会と年4回の研修会。大阪に帰れば、月イチの東福寺管長様の来られる坐禅会の直日(じきじつ・坐禅の監督役)と法話を聞く3時間。寺に帰れば、法事・葬儀。
病院にも10年以上通う。薬を変えても変わり無し。耐えるしかない。先生に分かる筈もない。
薬を新薬のSSRI に変えてもらう。パキシル。
いつものように神経科でカウンセリングを受け、病室を出る私に、岡山先生が「三木さん、何故、薬を信じないんですか?」
この一言が、心の何処かに届きました。ああ、そうなんだ!そうか!
その時をきっかけに、ずんずん良くなったというのも少し違うが、心が良い方向に。
すこしずつ、すこしずつ。
今でも、多少の症状はあるが、なんとかなっている。
現在社会では、多かれ少なかれ、神経をやられる。鈍感で馬鹿な人は違うかも知れないがね。風邪を引いたら風邪薬、鬱になったら抗うつ剤、酷くなったら抗精神病薬もある。
病名をもらい、それを、言い訳に社会生活を送れない人は、そのことで、どれだけ人様に迷惑をかけているか考えないと。
病名に負けず、立ち向かいましょう。病気でいる自分を肯定しましょう。
楽になりますよ。
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