環状線の桃谷駅を降りて、この銀杏を目印に寺に来たという話が残っています。
高くなりすぎて、剪定ができなくなるので、クレーン車で上部の枝を落とし今の姿になっています。剪定で丸坊主にされても春になると新芽が力強く生えてきます。
今は昔。
東京で大学時代、朝から夕方まで暇さえあればロングトーンをしてました。
ロングトーン仲間に名古屋フィルに行かれた星先輩が、「三木、デュエットやろーか」?と
誘ってくださり、アーバンのデュエット最初から最後まで吹きました。勿論、セカンドですけどね。5号館という練習棟でも、よくさらってました。ピアノが有るのでスタンダードなんかを弾いてました。
大陸という中華料理店でコスパ最高の夕飯を済ませると、先輩や同輩から、「三木、やるぞ」!と声がかかります。麻雀のお誘いです。誰かのアパートや雀荘で。買ったり負けたり。
3日連続でやったこともありました。真面目な同輩が心配して覗きに来てくれたり。
大負けした時は、後で先輩が寿司を奢ってくれました。貧乏してたから。
1年の時、4年生の先輩から声がかかり、即伺いました。これで、歳関係なく色んな方と知り合いになりました。クラシックの方やジャズの方。
カードもやりましたね。
本館の地下が食堂でした。広いところで、カード遊びの場所でした。
セブンポーカーが流行っていて、硬貨が並べられました。
多い時は、20人近い人数で、大騒ぎしてました。
ある時、私が8の4カードになりレイズしてたら、一人バスーンの先輩が降りずについてきた。負けるわけ無いと、数千円までレイズしてコール。どうだと、カード見せたら、先輩はクイーンの4カード!!!
あまり、盛り上がりすぎ、警備員の人が、「三木さん、ちょっとまずいですよ」と。何故、私に言うのか?
国立では、さすらいのギャンブラーといわれ、名が通ってました。
花園大学に編入してギャンブルは全くしなくなりました。まあ、花園禅塾という修行付き寮に入ったからできる訳もなく。
人生航路大転換の時でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿