2025年1月30日木曜日

新年会


 昨日は、悠々会の新年会だった。

場所は難波の裏難波といわれてる所。

道具屋筋のそば。道に迷った人も何人かいた。

私は地下鉄千日前線の難波で下車。表示板を見ながら到着。

なんばの地下街は広大なので、よく歩いた。


路地を入りビルの2階への階段を登る。

うーん、なんともサブカル的だ。

りょうあろう というシンガポール料理のお店。

中華料理と似たような品々。

ジジイが団体で集まると、話が盛り上がる。

個室のドアを締め切り、大声でおしゃべり。

ボケとツッコミ、爆笑。あっという間の2時間半。

地下鉄の今里駅のバス停はとても寒かった。

風が冷たい。

部屋に帰り、ストーブを付け生き返る。



2025年1月19日日曜日

正月坐禅会


 台所の椅子の修繕をした。


今朝は、今年初めの坐禅会。

坐禅の後の、茶礼の時間。少しお話をする。

前フリの後、見る、聞くのことを話す。

私達は、見るとき選択をして限定的に見ている。

視覚全部のものを見ているわけではないし、盲点は誰でもあるが脳が調整して正常に見えてるように感じている。

聴覚も、全ての音を均等に感じていては神経が持たない。必要なもの聞きたいものを選択して限定的に聞こえている。

匂いも味も皮膚感覚も同様。

そのことを、般若心経では五薀皆空という。

当たり前に、見たり聞いたりしてると思っているが、見た瞬間には何が見えてるかは理解していない。ごく僅かな時差の後、認識している。耳も同じ。脳が処理する瞬間の間なのか、心が生じる僅かな時間なのか。

指を動かすとき、当たり前に動かすが(そんな意識もなく)、自分が動かそうとするわずか先に指は動き出している。指の動きが意識より先に起こっている。

坐禅会にお見えの檀家さんが「正月は、めでたくもありめでたくもなし」。と話された。

冥土の旅の一里塚のことだと思い、死ぬことは、自分の意識と全ての意識が合体し、集合的無意識になる。とお話する。死んでも体は全ての部位が形を変え残る。葬儀を執り行い荼毘に付し、体はお骨が残る。あとの部分は火葬の際気体となり空に昇り、雲となり、雨となって川に注ぎ、母なる海に帰っていく。元の姿に戻っていく。これを臨済では新帰元(しんきげん)という。心は意識と同じとするなら無くなりはしない。体も元の姿に分散しただけ。なにも変わらない。太古の昔から同じことを繰り返している。


なーんて話をしちゃいました。今朝は少人数でしたが、話ははずんだ。

2025年1月15日水曜日

阿修羅のごとく


 二日で七話、見てしまいました。

長女 宮沢りえ 次女 尾野真千子 三女 蒼井優 四女 広瀬すず

共演の俳優さんも実力者揃い。

ハマってしまい、午後から夢中で見ました。

必見です❗️

2025年1月13日月曜日

成人の日


 成人の日ですね。

生野区では昨日、向かいの生野スポーツセンターで式典が開催されました。

赤ちゃん👶の時から知ってるお母さんが、成人した子供の晴れ姿を眩しそうに眺めてました。

寺の駐車場を駐輪場としてお貸ししました。係の区役所の方も大変ですね。

七日の七草の日も過ぎ、鏡開きも終わりました。

檀家周りも始まっています。

大般若のお札配ってます。

私が最初にお参りした檀家さんで、心の話になった。

心は本来は無心であり、目の前の物に反応して心が生まれる。

好きな物に対しては、嬉しい心が生まれ、やな物に対しては不機嫌な心が生まれる。

コロコロ色んな心が生じるのでココロと言うんですよ。

なんてことを話した。

こんな話をするとキリがない。

ユングの集合的無意識。

西田幾多郎の純粋経験。

本来無一物。

無一物中無尽蔵、花あり月あり楼台あり。

色即是空 空即是色

同じ事を言葉でこねくり回している。


2025年1月4日土曜日

恒例


 年末30日に娘が帰省。

三賀日は本堂で正月の大般若を勤める。
二日は法類の和尚が四名で年始のご挨拶にこられる。
こちらからも、年始のご挨拶に箕面へ二人で伺う。
その後、檀家さんなどが年始にお見え。
午後、住職が九州に帰省。
同じく、娘が帰省。家内も一緒に帰省。

新大阪駅でボテジュウのお好み焼きで夕食🍲。
改札で見送り、帰りに一人で。
六日まで、一人で寺に居ます。
朝課、日天掃除、洗濯🧺、朝食🥣。
草引きの後、縁側でミカン🍊食べて、一日過ごします♪

チャットGPT

  チャットGPTでいろんな事試してました。 ネットに写真をジブリ化出来るとあったので試してみました。 4年前の高校🏫の同窓会での演奏です。 CDで伴奏流し吹いてます。4、5曲吹いたかな。ラストは「君の瞳に恋をして」 年齢感が出てて、良い仕上がりでしょ🙆