2008年6月21日土曜日

番長がいた頃



お参りに行った檀家さんの息子さんから、面白い話を聞きました。
「最近の中学では、番長がいなくなり、先生方が生徒をまとめるのに苦労しています。生徒たちは、いくつかのグループに分かれています。」
私が中学生の頃は、他校ともめると、番長同士の一騎打ちをし決着したものでした。s学園での模擬試験のとき、他の中学ともめ、番長が一対一で喧嘩したのを覚えています。中学の時は、そのほかに「バック」という隠語がありました。「バック」とは、自分の用心棒をしてくれる年上の人のことです。自分が勝てると思い喧嘩して勝っても、後で「バック」にボコボコに仕返しされるということがあります。ですから、喧嘩の弱そうなやつでも、「バック」がいるかどうか確かめないといけませんでした。(N君覚えてるか?) でも、殴られるやつは、いけず(意地悪)か、弱いものいじめ、エエカッコシーでしたね。中学の時は下校時によく恐喝にあいました。その頃から、大人は見てみぬ振りしてましたね。卒業式の時はいつもパトカーが来てたな。
普段、私の記憶から消している中学時代を思い出していまいました。
I高校に行けて良かった!

2008年6月12日木曜日

「個性」について


私は、「個性」について、玄侑宗久師の考えに影響されていました。引用します。玄侑師曰く。

個性というのはキリスト教社会の考え方です。神様からいただいたペルソナ、つまりパーソナリティー(個性)が初めからある。これは元々日本人の発想にはなかったものです。昔の武士は元服すると名前を変えた。作家や画家には雅号もある。役割が変われば名前も変わるというのが日本人の考え方で、自分の中に八百万に住んでいるのです。

昨日、読んだ、茂木健一郎氏の説は違いました。

個性の発揮と他人との協調が相容れないとするのは、脳科学の視点から見れば間違いである。ミラーニューロンの発見に象徴されるように、個性は、むしろ他人との関係性においてこそ磨かれる。他人の心という鏡に映った姿を通して、私たちは自分の本性を知るのである。

 激化する国際競争の時代、日本人が個性なしでやっていけるはずがない。個性と協調性は矛盾するという科学的に間違った思いこみは捨て、脳の中の鏡で大いに個性を磨こうではないか。


注目すべきは、「本性」を、どう捉えるかです。禅では、「本性」は「仏性」とされ、それを究明することを究極の目標として、日々修行しています。「本性」を「空」「無」とする禅の考えと、茂木さんの使われた「本性」は違う概念だと思います。
私は、両氏とも好きですが、今は、茂木さんの説に揺れています。これも、「風流」だから良いですよね。玄侑さん。まあ、玄侑さんがこれ読むはずも無いか・・・

2008年6月6日金曜日

さて、何でしょう?



写真は、私の母が使っている、「歩行補助車」です。通称「シルバーカー」「押し車」。年をとり、歩行が困難になった方で、杖でも不十分な方が使用されます。荷物入れの上は、クッションが入っていて、椅子にもなります。この辺では、当たり前に、よく見るんですが、東京では、見ないそうです。東京から来た家内が、「この辺は、お孫さんの子守をしているお年寄りが多いな。」と思ってたそうです。乳母車と勘違いしたようです。巣鴨あたりで、使ってる方は、いないんでしょうか?同じ日本でも、大阪・東京で違うんですね。

2008年6月1日日曜日

最近読んだ本 4



ルポ 貧困大国アメリカ 堤未果著 定価735円(税込)岩波新書

同じ臨済宗妙心寺派の僧侶で芥川賞作家の、玄侑宗久師のお薦めの本です。

この本読んで、衝撃を受けました。
現在、アメリカで進んでいる、市場経済による低所得者の破綻、民営化による医療崩壊、ワーキングプアによる軍隊入隊者の確保。まさに、日本で進行しつつある現象です。

友人の江部康二医師のプログにこうあります。

もう一度、強調したいです。既に日本の医療は崩壊しています。もう間に合ってないけど、それだけに今すぐに対処しなくてはなりません。優位の一番は、間違いなく医療・年金・福祉です。それに比べれば、高速道路建設など10年間凍結でいいではないですか。道路財源を一般財源化して、医療費に回すのが急務です。http://koujiebe.blog95.fc2.com/blog-entry-433.html

麻酔医のフリー化など、マスコミでも取り上げられています。国立大学の独立法人化による、付囑病院と周辺の医療の荒廃は、海堂尊氏が強く提言されています。

民営化は、全て良いことではないことを、我々は、知るべきでしょう。アメリカの現状を知り、日本が同じ間違いを繰り返さないよう強く望みます。

2008年5月27日火曜日

禅苑講座



5月25日、日曜日、箕面・寒山寺で、表題の、坐禅と法話の会を開催しました。十年位前までは、参加者は100名を超え、定員オーバーのため、お断りした位でした。最近は、40名前後の参加者なので、坐禅と法話の時間を半分にして、参加者を増やそうとしました。私は、反対しましたが、多数決で決まってしまいました。残念。今年は、参加者44名でした。「なんだかな・・・」と思いました。

ここで気づいたことがあります。よく檀家さんに、「比較しない・期待しないが、楽に生きる祕訣ですよ。」なんていってる自分が、比較・期待してますね。反省・反省・・・!

もう一つ、気づいたことがあります。
講師にお招きした、安永老師に、以前プログにも書いた、全身麻酔が覚めるときの、経験を話してみました。何も無い時空間に浮かぶ自分がありましたと・・・。自分では、無心に近い経験か?と思ってました。そうしましたら、老師が、「私も、全身麻酔からさめる時に、ジェットコースターみたいに、カシャーン・カシャーンと自我が形成されました。」と軽く・明るく、おっしゃいました。トホホ。どうってことのない、誰でも経験することなんですね。ショウモナイナ。悟りを開かれた方にするような話では、ありませんでした。猛省です。はい。

2008年5月21日水曜日

花祭り後日談



昨日、檀家のMさんにお参りした時の話です。
色々お話した後で、
M「おっさん、こないだ花祭りのとき、連れて行った方、変でしたでしょ?」
私「はあ、?」
M「あのかた、鬱病で、一日中布団の中から出ない人なんです。」
私「そうですか。」
M「あの方、(地名)の方なんですけど、あの日、無理やり連れて行ったんです。
  そうしたら、娘さんから、えらいお礼言われて。娘さんの話では、コンサート
  に来てはる方が、みんなええ人で、雰囲気がとても良かったと喜んでたそうで
  引きこもりも隨分ましになったって、涙こぼして、お礼言われました。」
私「そうですか!良かったですね。」

ご縁ですね。きっと、症状が良くなるタイミングがコンサートに合ったんでしょうね。
鬱病は辛いですが、自分の中に閉じこまないようにできれば良いですね。
そんなことは分かってるけどできないの!って叱られそうですね。
鬱病の方に、いいご縁が有りますように。

2008年5月18日日曜日

第八阿頼耶識




不思議なことがありました。
花祭りコンサートがすみ、暇を見つけてラッパ吹いています。先日の花祭りコンサートの後、チューバのK君に、「来年は、アーバンの最後の変奏曲でも、やりましょうか?」といわれました。いつも、エチュードばかりさらってる私は、カーニバル・オブ・ベニス(テーマと4つの変奏曲からできている曲で、コンサートでよく演奏されるトランペットの有名曲)を、ゆっくりしたテンポで、さらい始めました。まあ、テンポがゆっくりなら、誰でも吹けますよね。まあ、タンキングの練習にもなるし良いなと思い続けていました。

先日、音大の先輩から、「くいだおれ太郎のキーホルダーが欲しいのよね・・・」
といわれ、即、道頓堀に直行!しかし、4軒当たりましたが、売り切れ!
仕方が無いので、キーホルダー以外のグッズを買い、お送りしました。
先輩から、お礼の品が届きました。CDがたくさん。その中に、先輩が演奏してるCDがありました!
ハイドン、フンメル・・・そして、カーニバル・オブ・ベニス!!!

聞いていて、心は、38年前にワープしていました。懐かしかった。本当に懐かしくて・・・

今日、先輩のプログに、カーニバル・オブ・ベニスの事が書かれていました。

共時性でしょうか?集合的無意識でしょうか?表題の第八阿頼耶識は、
ユングの集合的無意識とほぼ同じ意味です。
繋がってるのかな?繋がってたら、とても、うれしいな・・・。

故山田無文老師は、「阿頼耶識なんか、ぶち破れ!」とおっしゃってました。私は、まだ、どっぷりつかまっています。でも、いいんです。そのうち、阿頼耶識さんも、邪魔にならなくなる日が来るかも知れませんものね。

上の写真は、紫陽花の一種です。下は、ご存知、牡丹ですね。

施餓鬼法要も終わり

施餓鬼は、10人ほどの和尚さんに来ていただき、行道という本堂の中を歩いて経を上げる、 毎年の行事で1番大きなものです。 施餓鬼の片付けが済んだら、お盆のお参りが始まります。 昔、私が中学生になり、坊主頭になりました(学校の決まり)。 一年生の夏、父が「芳樹、棚経まわれ」と。 それ...