今朝、外を掃いていたら、何か赤いものが・・・。
椿の花びらでした。見上げると寒椿が綺麗に咲いていました。フフフ。
銀杏の紅葉は、落ち葉が近所中飛び散るので、剪定してしまいました。
姉が、「二本の銀杏の木は、昔は桃谷駅から見えて、寺の目印やったんよ。」
と、抗議されました。さて、来年はどうするかな?
毎日、何度も掃除するのもナ。
今日は、初めての方のお葬式でした。
25日の夜10時頃電話がありました。枕経に来て欲しいとのこと。
宗旨を伺うと妙心寺派。三重県の少林寺の檀家の親戚の方ということです。
妙心寺派といわれると、ほぼ100%断れません。
カーナビに聞いた住所をインプットしてでかけました。
今日、午後1時半から2時半の葬式。5時50分からの骨上・初七日。
実は、知り合いのたくさん在籍している「アンサンブル奏」のコンサートがいずみホールで2時からあり、招待券を用意してもらうことになってました。
ドタキャンです。
申し訳なかったけど、仕方ありません。
よくあるんです。私用の予定をキャンセルすること。
和尚が葬儀をすることって、当たり前のことですね。
お経を上げ、引導を渡し、お話をする。
この当たり前のことを、当たり前にできるまでには、長い経験がいります。
初めの若い頃は良いんです。無我夢中で真剣にやってしまえるから。
でも、中年オヤジになったころから、欲が出だします。
「人 ひとりを、あの世に送り出すんだから」
「臨済宗の和尚らしく」
「力強く」
「荘厳に」
次々に欲が生まれてきます。
そして、苦しみます。
最近、還暦を控えるようになって、やっと、等身大で出来るようになってきました。背伸びしても仕方がない。カッコつけても無理。
ただ、普段通りの自分で、やるしかないんですよね。
やっと、分かってきました。
ここポイント!「分かりました」ではなく「分かってきました」です。
人間、分かったなんて言えないんです。死ぬまでね。
過去形で、分かったというのは、オゴリです。
「分かってきた」で良いんです。
自分もまわりも、刻々変化してます。
その中で、完全に分かったなんて、ありえません。
私も、身の程を知り、「分かってきた」を増やしたいものです。