2009年12月8日火曜日
桂米朝の弟子から、僧侶になった!
今日は、お釈迦様が悟りを開かれた日です。成道会(じょうどうえ)という法要を、大阪市仏教会が南御堂で執り行いました。法要後の講演をなさった方が、吉田宥禅・芸名 桂米裕さんです。
大学を2年で中退された米裕さんは、桂米朝の内弟子となります。最初の1年は、大学の落研で習ったことを全て捨てる事だったそうです。掃除・洗濯・師匠の身の回りのお世話など、激務の内弟子生活だったそうです。桂南光さんが、「内弟子は奴隷や!」といったとか。何かにつけて、「あほ馬鹿間抜け」と言われつづけたそうです。
二つの経験から、人がどう考えているかを学んだそうです。
一つは、履き物を揃える役。馬鹿になりきり、黙々と、履き物を揃えていくうちに、どう揃えれば綺麗か、どうすれば、その方が気持ち良く履いて頂けるかを考えたそうです。男性は少し外またに揃え、女性は少し内股に揃えたそうです。履き物同士の幅は、1CM5mmが、良いそうです。
二つ目は、師匠の世話です。米朝さんは、楽屋に入ると先ず椅子に坐り、タバコを吸われます。米弘さんは、椅子の用意は出来るんですが、タバコの用意、つまり、灰皿ですね。これが、近くに見つからないことがあったそうです。次からは、自分の私物の灰皿を持って行き、先ずそれを出してから、楽屋のそばに灰皿はないか探したそうです。米朝さんに「なかなか、手際がエエナ」と褒められたそうです。
内弟子の後、独立した後、酒におぼれてしまった米裕さんは、自分の生活の酷さに気が付き、心機一転、「何でもします」と、劇場、テレビ局、ラジオ局などを、ペコペコバッタで回ったそうです。
何とか、生活が出来るようになり、岡山の多聞寺という寺の住職と親交ができ、出家したいと思い始めたそうです。でも、落語界では、「副業を持ってはいけない」という不文律があり、どちらかを取らないといけないそうです。「落語家で、生活苦を我慢できなないやつは、止めてしまえ」ということです。
考えた、米裕さんは、米朝師匠のトコへ行き、「高野山で修行をしたいので、一年間、落語家を休業します。」ともちかけ、お許しを得たそうです。
現在は、立派な真言宗の和尚となり、檀信徒の布教にあたっておられ、全国を回る、本山布教師になってらっしゃいます。
立派!
私は、講演の初めだけ聞いて、帰ろうと思ってましたが、気が付けば、90分間、最後まで聞かせてもらっていました。流石、米朝さんの弟子!たいしたものです。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
大阪府仏教会大会
11月12日心斎橋日航ホテルの会場で大阪府仏教会の大会がありました。 毎年、お亡くなりになった会員の追悼法要を各宗派が行います。 今年は、臨済宗妙心寺派。 大阪の支所長さんが決めた和尚たち5人でお勤めしました。 大過なく終了。 紫衣から普段の衣に着替え、中島さち子さんの講演を拝聴...
-
若い時、何百回も唱えた「発菩提心空拳章」(ほつぼだいしんくうけんしょう)という和文のお経があります。「 殺生偸盗邪淫慾 悪口両舌綺語妄語」などは印象的でよく憶えています。 「己を捨てゝ人を立て 人の善からぬ罪過を 仮令我身に受るとも 人をば罪に落とすまじ」 ...
-
にんべんに思うで、「しのぶ」と読みます。偲ぶ。 人を思うこと。懐かしむこと。 お通夜の時に、よく、お話します。 にんべんに夢で、「はかない」。儚い。 人の夢は、儚いもの。 期待するから、がっかりする。 期待しないと、楽に生きれます。 に...
-
6月20日付で、住職を退任致しました。 副住職が、後任の住職となりました。 思い返せば、平成4年住職を拝命し30年ばかり住職をしていました。 6月は、申請書類の作成に時間がかかり忙しい毎日でした。 ようやく、本山から任命、退任の辞令が降り宗門関係は終わりました。 後は、府庁に宗...
0 件のコメント:
コメントを投稿