2009年12月20日日曜日
自分
昨夜、NHK BSでコンサートを放映してました。マディソンスクエアーでのLIVEです。
初めから観てたんですが、CN&Yの演奏で、チャンネルを換えてしまいました。
舞い戻ってみると、「サイモン&ガーファンクル」でした!。
「サウンド・オブ・サイレンス」「ボクサー」と続き最後が「明日に架ける橋」!
アート・ガーファンクルの歌は、スゴイ!
隨分前に京都でカラオケバックに歌ったことがありますが、アリと象ほど、差がありました。(アタリマエヤロ!)
アートとポールは、仲直りしてるみたいですね。ヨカッタ。
今日2軒目の法事のお宅で、88歳のご主人とお話しました。
ご主人「奈良教育大学では、難波寺さんのこと、皆、知ってはりますね。」
私 「そうですか。」「教育大に行かれたんですか?」
娘さん「父は、教育大の市民講座を受けているんです。」
「子供らは、勉強好きなのが似てないのばかりで・・・」
亡くなったお母さんは、書道の先生。
父は、妙心寺の大衆禅堂に通われる、勉強家。
似ないわけはないんですよね。
自分で、そう決め付けてるだけなのにな。もっと、自分の中には、可能性が一杯あることに気付いてないんでしょうか。
自分というものを考えると、皆、「自分は善人」「真面目」・・・百人いれば、百人とも肯定的に自分を認識してます。でも、他人のことになると、百人の他人には百通りの認識をしています。あの人は良い人、その人は感じ悪い人・・・。他人の目から見ると、自分も、数多くの違った人物として捉えられています。そんなもんなんですね。
勿論、最近は、自分のこと否定的に考える人も増えてます。これも、他人から見れば、「あの人は、こんな良いトコがあるのに気が付かないのかな?」と思われてるんじゃないですか?
他人の前では、人は必ず演技してます。また、演技しないと社会生活が出来ません。素の自分のまま生きてるという人は、「わがままなまま大人になった人」「タカビー」などと、他人から判断されてることでしょう。
美女・美男に会うと、うれしくなり。嫌いな人と会うと、気分を害し。
初めて人と会うとき、どんな人か分からない場合、「自分より上か、下か」を考えますよね。そして、言葉使いまで調整します。水平に見れないことが多いんじゃないでしょうか。
つまり、朝、目が覚め、社会生活をしている限り、自分の中の色んな自分を使い分けています。
意識するしないに関わらず。善人になったり、悪人になったり。猛者になったり。腰抜けになったり。
誰でも、素になれるのは、眠ってる時ぐらいでしょうか。
と、毎晩、悪夢にうなされる私が言う。(エエカゲンナ ヤッチャナ!)
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