生と死は、初めもなければ終わりもない。
なんでやの?そんなん簡単や、生まれたときと死ぬときが切れ目やん!と安易に考えてる方、多いんじゃないですか?
死を考えるとき、我々は、法律上、医学上の死を基準として考えるように教育されています。例のあれですね。心臓停止、呼吸停止、瞳孔反応停止。考えれば変ですよね。ひげも生えれば爪も伸びますね。ほんとに死んでるんですか?体の一部分は機能停止してますが、全体としては決して死んでるわけではないようですね。法律上、そう決められているから、そう考えてるだけですよね。脳死は死だというのも、医学的実験のためだとしか考えられません。
葬儀を行うのも、身内の死を、誰かに証明してもらうという面が大きいのでは?一人で、これはもう死んでるんだと証明・納得できますか?体が氷のように冷たくなっても、果たして完全な死だと言い切れますか?他者に確認・証明してもらい、その大事なことを自分に納得させたいのではないですか?
では、生とは何時始まっているのでしょう?オギャーと生まれた時。これが一般的でしょう。精子と卵子が結合したときはどうでしょう?生まれた後、自我が生まれた時は、初めではないですか?
事程左様に、生と死は連続して切れ目などありません。私達は、自然の成分が縁によって集まって体を頂いて生きているだけで、縁がなくなれば、元の自然の成分に戻っていくだけです。地獄も極楽も、生きているから成立しているのです。
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