2024年3月17日日曜日

彼岸会の朝



 9:20AM 支度ができた。

午後1時から法要。受付は11:30。お昼御飯給仕。

出席の方は、コロナ前の100人位から、大幅に減っている。

境内や門前の草むしりも終わる。

法要後の法話。さあ、何を話そうか。皆さんのお顔を拝見してたら自然に話し始める。

話が途切れたら暫く無言。また、話し始める。切りの良い所で、結びの挨拶。終了。

役は人を作る。住職になって数十年。レジュメを作ったり、箇条書きを書いたりしたこともあった。余計な計らいごと。その時、その場で、話し始める。後はなんとかなる。

さあ、今日も何とかなるかな?

2024年3月7日木曜日

東京龍雲寺法要


 


副住職は世田谷の龍雲寺に法要に一泊二日で参列しました。
副住職は5年位龍雲寺の書生をしてました。
開山の300年遠忌と盤珪国師のお像のお披露目。
100数十名の和尚さんが集まり盛大に行われました。
きっと文京区の養源寺さんや谷中の全生庵さんもお出ででしたでしょう。
関西からは、本山の大法院・退蔵・寒山寺。
導師は円覚寺の横田南嶺老師、妙心寺僧堂島田大拙老師が勤められました。
写真は、大拙老師の墨跡。
なんて書いてあるかって?
「閑不徹」
意味は?
さー?

錦戸親方来山


 一昨日、親方がご挨拶にお見えになった。

水戸泉関が親方になられ最初の大阪場所の宿舎に難波寺の集会所をお使い頂いた。

新弟子さんは5~6人。弟の梅の里さんもご一緒。

夜遅く、部屋の壁を突き破ったとお弟子さんが来られ、隣家に断りを言い、翌日、大工さんに直して頂いた。やんちゃ盛りの若者たち。

ちゃんこを寺に持ってきて下さいました。普通のちゃんこ、カレーちゃんこ。

大鍋に頂いたので、近所におすそ分け。

集会所の迎えの難波寺駐車場に土俵を作りプレハブを建てられてました。

数年で、講演会の紹介で東成区の神社に引っ越されました。

それから毎年大阪場所の時に挨拶にお見えになります。

義理堅いね。人柄の良い親方です。

楽しくおしゃべりし、お帰りになりました。

十両水戸龍が早く幕内になりますように祈念致します。


2024年3月4日月曜日

河合隼雄先生


 1992年発行の本。

河合隼雄さんの本は電話相談室に携わってから随分読んだ。ユング派の心理学者だが、アドラーのことも出てくるし、禅宗(臨済宗)の話もよく書かれている。臨済宗に憧憬が深いのは哲学者の池田晶子もそうだった。

この本の中の一節「灯りを消すほうが よく見えることがある」の一文。

「何人かの人が漁船で海釣りに出かけ、夢中になっているうちに、みるみる夕闇が迫り暗くなってしまった。あわてて帰りかけたが潮の流れが変わったのか混乱してしまって、方角が分からなくなり、そのうち暗闇になってしまい、都合の悪いことに月も出ない。必死になって灯(たいまつ)をかかげて方向を知ろうとするが見当がつかない。

そのうち、一同のなかの知恵のある人が、灯を消せと言う、不思議に思いつつ気迫に押され消してしまうと、あたりは真の闇である。しかし、目がだんだんと慣れてくると、まったくの闇と思っていたのに、遠くの方に浜の町の明かりのために、そちらの方が、ぼうーと明るく見えてきた。そこで帰るべき方向がわかり無事に帰ってきた、というのである。」

電話相談や坐禅会に来られる方の話をお聴きすることがある。

お悩みを聞いて、すぐに「それはこうで、こうしたら楽になりますよ」と言いがちだ。

でも、それは船の上でたいまつをかかげるようなもの。

「うんうん」、真剣にお聴きするだけ。親身になってお聴きすると相手もお話を続けられます。

「そうですか。」

心の中に蟠っていてどうにもならないことを言葉にして表現していただく。

一時間でも二時間でも。

話すことが無くなり、もう一度最初から繰り返す方も。

言葉にして話してもそんなに簡単に解決しませんよね。

たいまつのような心の期待を無くし、じっとする。ふっと道が見える。

本当は解ってらっしゃいます。

ここに気づいた方が坐禅会に来られます。電話相談にお電話頂けます。

言葉にできる悩みはまだまし、言葉にならない苦しみはこたえます。

生きてる限り、そんな苦しみを抱いて過ごすしか無いんですよね。


俺と僕と私

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