2018年11月13日火曜日
妙心寺花園会 少年少女研修会
30数年前、妙心寺山内の大法院さんに推薦して頂き、花園会運営委員に就任しました。
年に4回開催される研修会のお世話をします。
少年少女・青年部・婦人部・運営部の4回。
運営部は、寺の総代さんのこと。
年に4回の研修会に向け、打ち合わせの会議が1泊2日で本山であります。
年に8回、本山に行ってました。11年くらいやったかな。
竹中元鼎宗務所長・松山満密管長・倉内松堂管長・春見文勝管長・中島義観師・馬場儀光師。同僚では、渡辺俊明さん、北川さん(滋賀の龍潭寺)、上野真譲さん、岸田さん(泉光寺閑栖)、葛葉睦山さん、光山さん(光雲寺)、上村さん(静岡)数多くの個性豊かな和尚さん達。花園会では、八木課長・大原課長・井上安保師。
2泊3日の研修会で、朝6時から夜9時までのスケジュールです。
朝、6時に宿舎の花園会館の受付に集合し、法堂まで歩き、法堂で朝課・坐禅をします。
少し休憩し、粥座(朝ごはん)。お経を唱え、音を立てずに頂きます。
法話や数珠を作ったり、仏教聖歌を習ったりします。
そうですね。私は仏教聖歌の担当だったわけです!
花園会本部にキーボードを購入してもらい、歌唱指導してました。
2日目の夜のリクレーションの時間は、私の担当。
特に、少年少女のレクレーションの時間は、盛り上がること盛り上がること!
「手のひらを太陽に」を歌う時は、キーボードで、デスコのリズムにし、ボリームを上げ皆で叫ぶように歌ってました。ずっと厳しい修行に耐えてきたので、研修生たちは爆発してました。
勿論、そればっかりやってるわけではなく、坐禅指導・会議のオブザーバーなどもしました。毎回、200人位の研修生のお世話をしました。
運営委員の宿舎は花園会館の貴賓室。
といえば聞こえは良いが、ダダぴろい和室に6人で雑魚寝。
雲水時代と同じ感覚を求められました。上下関係が厳しかった。30代の私は一番下。
食事も、雲水時代と同じ作法で。
やっと役を離れて数年後、今度は、教学部運営委員を拝命。
婦人部・少年部の年2回の研修会。
これは、お寺の奥さん、子供さん達のための研修会です。
やはり2泊3日。打ち合わせの会議も別にありました
同僚は、中井泰山師、高田慈雲師。
この時、人見智裕師、松井宗易師などにお世話になりました。
これで本山とはオサラバと思いきや、涅槃堂改築委員を拝命しました。
また本山です。山内・慧照院さんに、頼まれました。
というより、ヤレと言われたわけでして。
これは2年ほどで終わりました。
予算が数億円の工事なので、気を使いました。
この時は、細川景一宗務総長、長門課長、松山英照師、大心院さん(法務課長)などの皆様にご指導して頂きました。
松山さんとは、肥田自豊(大法院住職)さんのご紹介で、長いことお付き合いして頂いてます。最近は、長男さんのほうが有名かな?
まあ、書き始めると、長いこと本山に行ってました。
皆様。色々お世話になりました。
有難うございました。
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