先日、兵庫県でお通夜の時、少しの時間、参列者の方たちにお話をしました。いつも、一人でもいいから、なにか感じていただけたらと思って、駄弁を弄します。
まあ、話は凸と凹です。話すほうの凸が聴くほうの凹に、はまれば通じます。
毎回違った話になりますが、「命」「心」「死」がテーマになります。自分が、「こう考えれば、楽だな。」と思った考え方を話します。
和尚は、葬式・法事を多くやってるので悲惨な場面に遭遇することが多々あります。そういった経験の中から感じたことは、自分自身の生き方にも大きく影響しています。
最近感じたのは、「人は自然から子宮を出口として生まれ、棺桶を入り口として自然に帰る。」これは、MRIに入ったときに何故か落ち着きウトウトした時に「棺桶の中に入った時も、こんな感じかな。」って思ったのがきっかけでした。・・・まだ、自分の中でもまとまってません。ブログということでお許し下さい。
話は戻ります。兵庫県でのお通夜のあと、司会をしていた葬儀社の女性の方が、少し離れた駐車場までわざわざ見送って下さいました。
話をお聞きしたら、その方の若い息子さんがバイクの事故で、植物状態だそうでした。ほんの数分の会話でした。お辛そうで泣きながら話されていました。駐車場に着くと「仕事中ですので・・・」と式場に戻られました。
翌日の葬儀の後、寺に帰る時間が無いので、2時間半ほど待機していました。初七日も終わり、帰る時、駐車場で車に乗ろうとしたら、件の方が自動車を運転して式場に帰ってこられ、「他の仕事がありましたので帰ってこれませんでした。ご縁がございましたら、またお会いしたいです。」と声をかけてくださいました。お辛いんだなと思いました。凸と凹が合ったんでしょうか?檀家さんに、子供さんがほとんど植物状態で20年以上介護されてた方がいましたので、お気持ちは少しは分かる気がしました。
凸と凹は、無意識の中にあるようです。
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