2011年3月4日金曜日
東福寺管長 遷化
管長様は、東福僧堂に入寺なさった時からのお付き合いでした。
自分に厳しい方で、「横になって寝ない」とおっしゃっていました。
坐睡といい、坐って睡眠をとってらっしゃいました。
京都新聞の記事を、引用します。
福島慶道氏死去 東福寺派管長、世界へ禅の心
国内のみならず米国の大学も回り、禅の心を説き続けた臨済宗東福寺派管長で、大本山東福寺(京都市東山区)住職の福島慶道(ふくしま・けいどう)氏が、1日午前10時10分、岡山県倉敷市内の病院で死去した。78歳。神戸市出身。葬儀告別式は京都市東山区本町15丁目の東福寺で行う。日時は未定。
晩年はパーキンソン病にかかり、右半身が不自由ながら、夏の暁天講座などでは自ら法話に当たった。体調が悪化し2009年夏に東福寺で行われた暁天講座を最後に入院、療養生活を送っていた。
1933年、神戸市に生まれた。集団学童疎開で岡山県総社市に移り、戦後の47年、祖母の死を契機に出家を決意し、同市の東福寺派・宝福寺に入門した。56年、大谷大文学部仏教学科卒、61年には同大学大学院博士課程を修了。南禅寺専門道場(僧堂)に入門し、当時、臨済宗南禅寺派管長で師家だった故柴山全慶氏につく。80年に東福寺専門道場の師家(指導者)に就き、86年には、国賓として来日したチャールズ英国皇太子を東福寺に迎えた。91年から管長も務めていた。
「禅の命脈は僧堂にあり」を持論として、管長と師家を兼務し、多くの弟子を育てた。69年に柴山全慶氏とともに米国に渡って座禅会を開き、89年からは毎年米国の大学に出講して禅を説いた。91年には重要文化財「大禅堂」の復興に尽力した。著書「無心のさとり」「いまここを無心に生きる」などを残した。
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