2015年8月29日土曜日

アドレスだけではご覧になれなかった方へ

長い間ありがとうございました。

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ジャズが8月10日 午後4時50分旅立ちました。
16歳5か月でした。(1999年3月11日生まれ)

8月3日に体調を崩し一週間と言う短い時間でした。
何も覚悟もできないまま状態がどんどん悪くなっていくジャズを見ているだけの一週間でした。
主治医の先生に往診して頂いたり、夜間救急センターに走ること数回。
刻々と変わるジャズの病状に追いつく事はありませんでした。
でも最後は大好きな主治医の先生ご夫妻に見守られてジャズは幸せでした。

9匹の子供を出産して直後の交通事故(2002年5月31日)から13年2か月、ジャズは本当によく頑張ってくれました。
私とジャズは普通の主従関係ではなく、歩く事に拘った同志の様な関係でした。
特に事故直後の2002年6月からレーザー治療、ハリ治療、温泉付き施設でマッサージやプールで泳ぐ等、できる限りのリハビリを試みました。
2003年春からは東京お台場に開設した「綱吉の湯」で専門家によるハイドロセラピーと温泉マッサージを約1年間受けました。
スタッフの皆さんとジャズの頑張りもあり、その頃には尻尾を刺激すると自力で立ち上がれるようにまでなりました。
その後名古屋のリハビリ専門施設に移り、9か月間ハイドロセラピーと温泉マッサージ、スタッフの方による床運動のリハビリを続けました。
当時はまだ車いすの子が少なく、ジャズもチャリンジャー(車いすわんこの会)のピンクレンジャーとして所属し、お互いに情報交換をしていました。
東京と名古屋に行ってからの1年9か月の間には何度か専門雑誌やTVで紹介され、全国の方から応援を頂きました。

リハビリ生活最後の3か月はジャズだけ施設に預けて週一名古屋に面会に行っていたのですが、リハビリの効果があまり見られなかったので、ジャズに寂しい思いまでさせて歩けるようになるか否かわからないリハビリを続けることに疑問を抱くようになり、
「ジャズは歩けるようになることを望んでいないかも知れない。ただ私の独り相撲かもしれない。だとしたらジャズと一緒の時間を大事にすることが一番大切な事ではないか?」と言う思いが強くなり、家に連れて帰る決心をしました。
その後一度日大のリハビリの先生にバルーンを使ったリハビリやマッサージを指導して頂き、自宅でのリハビリを続けました。
その頃ジャズは自力で立ってフードボールでご飯を食べられるようにまでなっていました。

しかし犬の歳の取り方は人に比べて数倍ものスピードです。
2011年ころからジャズの老化により、せっかくのリハビリの効果が減退するようになり、それまで希望を捨てずにジャズと二人三脚で頑張ってきましたが、歩く希望を諦めざるを得ない現実にぶつかる事になりました。
それからは老化との競争でした。
もう歩く為の歩行ではなく、楽しく生きる為に大好きな大阪城や近所の公園に行き、楽しい楽しい時間を一緒に過ごす事にしました。

全国の皆様、そしてご近所の皆様、長い間ジャズに温かいご声援を送って下さいまして本当にありがとうございました。
皆様に巡り合うことができ、ジャズも私もとてもとても幸せでした。
ジャズが交通事故に遭った事は決していい事ではありませんが、そのお蔭で私はとても貴重な経験を山ほどさせて貰いました。
それは今でも、そしてこれからも私の生涯の宝物になるに違いありません。

まだジャズが旅立ってしまったという実感は殆どないまま、寂しい思いや空しい思いが心の中を通り過ぎてく毎日です。
そしてジャズの愛娘ミスティを後追いから守る為にケアの日々を送っています。
心から感謝申しあげます。

ジャズを失ったミスティのお話を次回させていただきます。
また現在大量の写真を整理中で、後日好奇心旺盛なジャズの写真や動画を載せようと思っています。
最後にそれを少しでも多くの方々にご覧頂けたら嬉しいです。
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※上の車いすの写真はジャズが歩いた最後の写真です。
 下2枚は体調を崩してからもこんなにいい顔を見せてくれました(8月5日)
 一番下はジャズが旅立つ前日最後の添い寝になりました。

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薫風

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