2011年5月30日月曜日
昨日の坐禅会
修行道場を出てから、10数年間、近隣の寺で行われる坐禅会の直日(坐禅の監督官)をやっていました。
その頃はまだ若かったので、とても厳しく指導していました。ひどいヤツと思われたと、慙愧の念に耐えません。
昨日は、台風の影響で雨風が強い日でした。
参加者の皆さんは、それにもかかわらず、粛々と会場の寺に足を運んでくださいました。
なんと去年の倍の75名の参加者でした。\(^o^)/
坐禅会の良さは、参加者を、老若男女を問わず区別しないことです。
日常生活からの脱却と言えばいいでしょうか?
会場の寺の山門をくぐると同時に、社会的地位・立場など、無くなります。
これを、経験するだけで、坐禅会の価値はあります。
坐禅会が終わり、臨時部内会という会議がありました。次期宗務支所長を選出するためです。大阪の妙心寺派寺院の代表を決めます。任期は4年間です。
無事、選挙が終わり、新支所長が決まりました。
これで、私が、12年間在任していた役職が今年12月に終わります。教化推進員4年・宗務支所長4年・評議員4年。
本山の役も、花園会運営委員を7年・教学部運営委員を4年させて頂きました。
気がつくと、年金がもらえる歳になりました。時人を待たずですね。
来月、大阪仏教テレホン相談室の事務局長も終わるので、しばらく、のんびりさせていただきたいものです。
2011年5月28日土曜日
この三日間
一昨日、生野区仏教会の総会がありました。
会長として最後の行事でした。
ご苦労様でしたと、慰労してくださる方。
「グチグチ」と酔って絡んでくる方。
2年間よくやったと、自分では思っています。
4年間、副会長をして会長になる決まりなのに、会長をドタキャンした方の代わりに会長になりました。
右も左も分からないまま、2年の任期を終えました。さぞや、事務局の方、会計の方にご迷惑をおかけしたと思います。文句も言わず、付き合って下さいました。有難いことです。
昨日は、禅苑講座(大阪の妙心寺派の寺合同での坐禅と法話の会)の準備会でした。
10人くらいの和尚達が集合しました。
食事の部屋のセッティング。坐禅をしていただく部屋のセッティング。
私が若かった頃は、それぞれの責任者が差配しテキパキ作業したものでした。
昨日は、下手なサッカーの試合みたいに、全員が一つの作業しかしないし、寮頭(それぞれの役の責任者)がしっかりしないので、ダラダラと時間がかかり、イライラしました。
時代が変化したということで、黙認すべきなんでしょうか?
「今時の若いものは」というフレイズはギリシャ時代からあるそうです。自分が年取ったのでしょうね。
今日は、檀家の葬式でした。30年くらい縁の無かった家の人でした。
夕方、全てのお勤めを済ませ帰山しました。疲れました。また、体重減ってるだろうな(´・ω・`)
明日は、一日、禅苑講座です。参加者は去年の倍以上です。有難いな。
世の中が荒んでくると、仏教に救いを求める方が増えるのでしょうか?期待に答えなくては。
どうか、ぶち切れて他の和尚を怒鳴ったりしなようにしようと思います。自分が昔、年長の和尚達に怒鳴られながら教わったことも、忘れないといけないんでしょう。これ以上、嫌われないようにしなくっちゃネ。
2011年5月23日月曜日
マスコミ
某TVは、難波寺のことを、2回放送していただきました。
ある会合で、某テレビのことが話題にあがりました。
あまり良い話は出ませんでした!?
曰く
某テレビの「プ○○ェッ○ョ○○」は、○木さんの脱税問題でストップしたのではなく、ある学校を取材して放送したところ、「事実とあまりに違う!」と卒業生からクレームが殺到し、やむなく番組中止に至ったそうです。
某テレビの取材が、職場に入り、長時間取材した結果、局側が放送したい部分だけを編集し、現場でインタビューを受けた人が、あきれ果てたそうです。「我々が話したことと、あまりに違う内容になって放送された。」
私の経験でも、3度目に、某テレビが、連ドラの撮影に寺を貸して欲しいということで連絡がありました。
打ち合わせということで、若いプロデューサー2人と年配のカメラマンがお見えになり、2時間近く、お話ししました。
カメラマンの方が、しかめっ面で「失礼なことお聞きしますが・・・。」と色んなことを質問されます。
「失礼なことお聞きしますが・・・。」が何度となく続きました。
まあ、打ち合わせなんだろうと真面目に応えてました。
そばで聞いてた家内が、某テレビの方たちが帰られた後、激怒してました。「なんなのあれは!!!」
結局、撮影は、豊中の同じ宗派の寺に変更になりました。
電話があり、「今回の話は無かった事にして下さい」とプロデューサーの方から言われました。
ドーッと疲れが出ました (´・ω・`)
以前、○○新聞の記者が、妙心寺派宗務本所に来、教学部長に取材しました。
妙心寺派の僧堂のことや、住職資格のとり方なども、話題になったそうです。
ところが、記事になると
「あの修行が厳しいとされる妙心寺派に抜け道が!」
と、有ること無いこと好き勝手に記事にされました。
本所は、厳重に抗議しましたが、取り付く島もなかったそうです。
怖いですねマスコミは。
マスコミが発表すると、多くの人にとって、それが事実になります。
ネットの時代になり、知り合いの多くが、新聞を取るのを止めました。
うちでは、母が、長年とっている朝日新聞を、毎日隅々まで読んでいますので、新聞継続中です。
某テレビの悪いところを書きましたが、TVは地上波・BSとも、ほとんど某テレビしか見ない私です。
上手にマスコミやNETの情報を取捨選択しなければいけないと思います。
僧侶が他者を批判してはいけませんね。確信犯ですか(~_~;)
2011年5月19日木曜日
心霊写真についての質問
芍薬が見頃になりました。
満開になった花から順に仏さんに供えています。
以前、東京で、心霊写真で悩んでるという相談を受けました。
数日前、同じ質問を受けました。
お二方とも、「写真を撮ってもらうと、変なモノが写ってるんです!」とおっしゃいます。
「キモイ」「怖い」なんでしょう。
これに悩む人には、共通項があります。
心霊写真の、動画・写真・記事を見ている。
心霊写真の存在を知らない方には、変なモノが写ってる写真は無いのです。
人は、事象を見た時、理解しようとします。それも、自分が経験したこと・学んだことを基礎に、理解・解決しようとします。
自分の見ていることは、「理解出来ないわけがない」と思っています。
でも、世の中そんな甘くはなく、理解を超えたものは、そこら中に存在します。
人間が理解できるのは、世の中のほんの一部分なんです。まあ、分かろうとするのは本能的なものかもしれませんが。
でも、自分(人間)の理解力の限界を認識し、分からないものは、分からないで済ませます。これ、楽ですよ!
変なモノが写っていてもいいじゃないですか。「へー!」で済ませれば・・・。
それを、「これは、以前、TVで見た心霊写真だ!」と思うから怖くなります。
肝の坐った方は、「ほー、そんなふうに見えるんだ」で済ませます。
ホントに怖い話は、色々、現実にあるんですよ。ここでは、控えますが・・・。
心霊写真なんて、ホラ吹きの作り事に惑わされてはいけませんよ!
仏教では「一切唯心造」といいます。全ては心が作った物という意味です(簡単に言うと)。
自分の心に、自分が惑わされている!?
これって、あるんですよね。
私なんか、惑わされっぱなし!?修行が足りないからです。ハイ (^^ゞ
2011年5月15日日曜日
今日のライブ(とん平・松本)
今日午後2時から、とん平こと松本泰幸と松本侑大のライブに行ってきました。
松本らしい、しゃべりと演奏でした。
お客さんも、満足してらっしゃいました。ヨカッタ!
臨江寺さんと海会寺さんが、ライブのお世話をされてました。
海会寺さんの司会で始まったライブは、松本の独壇場!
話も、演奏も、ウケてましたヨ。
最後の曲の前に、お約束のジャムセッション。
SAXを持ってきて演奏すると言ってた臨江寺さんは、なんとドタキャン!?
40年ぶりに、松本と合奏しました。
D(実音C)のブルースです。
リフは、楽譜があったので、初見でも何とかなりました。
最後のところで、音がなくなり???
松本が指さすので、適当にアドリブ。
今度は、松本が「ハイトーンで終わろー!」
ハイD(実音C)で、ロングトーン。なんとか拍手を頂きました。ホッ!
その後、アンコールもあり、和気藹々とライブも終了。
松本のCDを買った方が、サインを求めて並んでました。ヨカッタ ヨカッタ!
お世話してくださった、臨江寺さん、海会寺さん、本当に有難うございました。感謝しております。
松本の息子が・・・!
音大同期の松本の息子、松本侑大が立派なミュージシャンになっていました!
昨夜、土佐拓也のライブが堺市東文化会館メインホールであり、観に行きました。
着くなり、松本の奥さんが、楽屋まで案内してくれました。
奥さん来てるの知らなかったので驚きました。
楽屋前で、松本と話し、奥さんと一緒にロビーに戻りました。
奥さんが、「明日、三木さんも参加して下さるんですね?」と言われ、「いやー、勘弁してもらおうと思ってます」と話すと、とても残念そうでした。松本が楽しみにしてるみたいでした。
コンサートは、土佐さんのバックに、侑大のピアノ、パーカッション・バイオリン・ビオラ・チェロ。
バックコーラスも、侑大がやってました。
曲の提供もし、ストリングスのアレンジもやってるそうです。
ピアノ、上手くなってたな!歌も綺麗にハモってました。
松本も、ソプラノサックスで何曲かゲストで参加しました。お爺さんに見えました!?(アイツ、オコルダロウナ)
今日の堺市のライブを企画してくださった、臨江寺さんも聴きに来てくれてました。
2時間のコンサート、盛り上がって終わりました。
侑大は、赤ちゃんの時から知ってるので、成長した姿を見るのは、とても嬉しいことです。
さあ、11時からの、法事の準備します。2時からライブですので、ギリギリになりそうです。
2011年5月13日金曜日
堺市で友人がライブに出演
音大同期の松本が、明日、大阪堺市でコンサートに出演します
「せっかく、大阪に行くんだから、日曜にどっかでライブセッティングしてくれないかな?」と電話があり、堺市の臨江寺さんに泣きつきました。
臨江寺住職は、音楽が大好きで、地元でライブの企画に関わったり、独学でSAXを吹いたりしています。私も、何度かライブに誘われ、聴きに行かせていただきました。
凄いのは、ピアノの佐藤允彦さんの「如是我聞」というCDに読経で参加しています!
親切な臨江寺さんは、20人ほど入れる会場でライブを企画してくれました。
と、ここまではいいんですが。昨夜、松本から電話があり、「臨江寺さんがソプラノサックスで参加すると言ってるので、三木もブルースでいいから一緒にやろうよ!」
20年前、札幌で、友人の結婚披露宴の余興で、頼まれて地元のバンドに乱入しエレキギターでブルースを1曲演奏しました。
その頃は、ギターもチョコチョコ触ってましたので、評判が良く、「浪速のブルースマン」と言っていただきました。
でも、最近、ギター触ってないので、弦も錆びついています。時間があれば練習もするけど・・・。
ラッパは、先月、花祭りコンサートで吹いてはいますが、ブルースなんて、やったこと無いし・・・。
20人とはいえ、お金払ったお客さんの前で、やるの?!
どうしましょう?困ったな(-.-;)
2011年5月10日火曜日
Doris Day ~~~ Over The Rainbow
伊東ゆかりさんが好きです。TVでタイムファイブと世良譲さんをバックにスタンダードを歌ってる時は聞き入ってしまいました。
ふと思いました。伊東ゆかりとドリス・デイの歌い方って似てませんか?
今日、これを聴き、泣きそうになりました(^^ゞ
思わず
2011年5月9日月曜日
慧照院 斎会 テレホン相談 担当日
朝、9時に出発。京都・妙心寺山内・恵照院に向かう。
第2京阪の方が早いが、焦らず名神高速で向かう。
10時半到着。久しぶりにお会いする方が何人もいらっしゃってました。
11時から、慧照院で先住さんの斎会(法事)のお勤め。
12時から、場所を、聖擇庵に移り、斉座(昼ごはん)をいただく。勿論、阿じろさんの精進料理。
品目で、驚いたのは、バナナの辛子和え!? 美味しかったです。
最後に、抹茶で総茶礼をして、午後1時。
末吉橋の、大阪仏教テレホン相談室に向かう。
2時5分に到着。
先に、黄檗宗の和尚が2人いらしてました。
3時間の相談時間内に、4件の無言電話!
どうも、茨城県からかけてくる常連さんが、私の声で、電話を切ってしまわれるみたいだった!?
以前、その方の電話で、「人の悪口ばかりいうのは、如何なものでしょうね?」と言ったのが原因だろう。
相談の合間に、30分ほどウトウトしてしまう。
帰りに、相談室のあるビルのオーナーさんに会い、しばらくお話しする。
寺につき、出納簿をつけ、領収書を貼り付ける。
引き物を拝見し、お供養のお菓子は母に渡す。
犬の散歩は、副住職が済ましてくれてました。フー、助かった!
2011年5月4日水曜日
次女が震災支援プロジェクトに参加しました。
2011年5月1日日曜日
管長 朝日新聞の記事より 退蔵院新命さんのブログから
京都の禅寺・妙心寺を大本山とする臨済宗妙心寺派の河野太通管長(81)が
宗派のホームページで東日本大震災の被災者を「頑張れ」と励ましている。
自らは16年前の阪神大震災で被災して「頑張れ」と声をかけられる立場だった。
その時には嫌だったという言葉をなぜ今は口にするのか?
―――
「頑張れ」と言われると、被災された人は腹立たしい気持ちになるでしょうね。
阪神淡路大震災の時の私がそうでした。
その時は、六甲山の中腹にある寺におりました。
山門が倒壊しましたが、見下ろした神戸の市街地に言葉を失いました。
20人ほどいた雲水(修行僧)と避難所で炊き出しを始めました。
そこへボランティアや報道関係者が来ては
決まったように「頑張ってください」と言って去っていくのです。
正直なところ
「あなたたちには帰る場所も頑張れる力もあるから来てくださった。
でも被災者たちは、全壊した家を自力でわずかずつ片付けている。
肉親を失っている。これ以上どう頑張ればいいのか」と内心では、半ば腹立たしい思いでした。
起き上がれない人に「立て」と言ったり、
歩けない人に「走れ」と迫ったりする無理強いにも聞こえたからです。
その私が皮肉にも「頑張れ」と言っています。
言われると、腹立たしくなったり、悲しくなったりすることは、体験から十分にわかります。
わかった上で今は「頑張って」と言うよりほかはありません。
それはいのちに向けた祈りの言葉なのです
悲しい縁に出会って亡くなった人がいる。
同じ悲しい縁に出会いながら生きている自分がいる。
どうしてか、と問われても、人間の知恵ではとうてい説明できないものです。
今回の震災に遭わなかったとしても、人はだれも老い、病になり、必ず死にます。
仏教の説く「四苦」です。
誤解しないでいただきたい。
「だから人生は空しい」と悲観論をしゃべっているのではありません。
いのちには限りがあるからこそ、
いま生かされているいのちを精いっぱい生きなくてはなりません。
それが「頑張る」ことですし、亡き人との縁をよいものにしていくことになるからです。
阪神淡路大震災では、私の大学の後輩が亡くなりました。
夫婦と子ども2人。
16歳の娘さんだけがひとり、生き残ったのです。
気丈に振る舞っていたその子が、いざ火葬にするときになると、
弟の棺に取りすがって泣き続けるのです。
離れようとはしない娘さんを棺から引きはがすようにして、
荼毘にふしたことを今でも覚えています。
その時と同じような、いやそれ以上に、
哀切きわまりない光景が今も被災地で続いているのです。
自らの命をもって、生きていく意味を私たちに知らせてくださった亡き人に、
思いを寄せるしかありません。
水や食べものを奪う合って、独り占めするのは論外ですが、
大津波や大地震に負けないもっと大きなコンクリートの防波堤を造ればいいのでしょうか。
あるいはもっと成長するために、原子力発電にこれからも頼って暮らすのでしょうか。
大地震の後には世界的な難題ばかりが残されました。
でも、復興していくには、生かされた私たちが被災地の人と、
そのいのちを「頑張る」しかありません。
それが亡くなった方々に報いることなのです。
宗派のホームページで東日本大震災の被災者を「頑張れ」と励ましている。
自らは16年前の阪神大震災で被災して「頑張れ」と声をかけられる立場だった。
その時には嫌だったという言葉をなぜ今は口にするのか?
―――
「頑張れ」と言われると、被災された人は腹立たしい気持ちになるでしょうね。
阪神淡路大震災の時の私がそうでした。
その時は、六甲山の中腹にある寺におりました。
山門が倒壊しましたが、見下ろした神戸の市街地に言葉を失いました。
20人ほどいた雲水(修行僧)と避難所で炊き出しを始めました。
そこへボランティアや報道関係者が来ては
決まったように「頑張ってください」と言って去っていくのです。
正直なところ
「あなたたちには帰る場所も頑張れる力もあるから来てくださった。
でも被災者たちは、全壊した家を自力でわずかずつ片付けている。
肉親を失っている。これ以上どう頑張ればいいのか」と内心では、半ば腹立たしい思いでした。
起き上がれない人に「立て」と言ったり、
歩けない人に「走れ」と迫ったりする無理強いにも聞こえたからです。
その私が皮肉にも「頑張れ」と言っています。
言われると、腹立たしくなったり、悲しくなったりすることは、体験から十分にわかります。
わかった上で今は「頑張って」と言うよりほかはありません。
それはいのちに向けた祈りの言葉なのです
悲しい縁に出会って亡くなった人がいる。
同じ悲しい縁に出会いながら生きている自分がいる。
どうしてか、と問われても、人間の知恵ではとうてい説明できないものです。
今回の震災に遭わなかったとしても、人はだれも老い、病になり、必ず死にます。
仏教の説く「四苦」です。
誤解しないでいただきたい。
「だから人生は空しい」と悲観論をしゃべっているのではありません。
いのちには限りがあるからこそ、
いま生かされているいのちを精いっぱい生きなくてはなりません。
それが「頑張る」ことですし、亡き人との縁をよいものにしていくことになるからです。
阪神淡路大震災では、私の大学の後輩が亡くなりました。
夫婦と子ども2人。
16歳の娘さんだけがひとり、生き残ったのです。
気丈に振る舞っていたその子が、いざ火葬にするときになると、
弟の棺に取りすがって泣き続けるのです。
離れようとはしない娘さんを棺から引きはがすようにして、
荼毘にふしたことを今でも覚えています。
その時と同じような、いやそれ以上に、
哀切きわまりない光景が今も被災地で続いているのです。
自らの命をもって、生きていく意味を私たちに知らせてくださった亡き人に、
思いを寄せるしかありません。
水や食べものを奪う合って、独り占めするのは論外ですが、
大津波や大地震に負けないもっと大きなコンクリートの防波堤を造ればいいのでしょうか。
あるいはもっと成長するために、原子力発電にこれからも頼って暮らすのでしょうか。
大地震の後には世界的な難題ばかりが残されました。
でも、復興していくには、生かされた私たちが被災地の人と、
そのいのちを「頑張る」しかありません。
それが亡くなった方々に報いることなのです。
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